ズボラになりたい
ズボラになりたい。
と告白すると、どうして?? と言われます。
「ズボラ」という言葉自体に、あまり良い印象を持たれない方もいるでしょう。
ですが、私が求めているのはこの「ズボラ」という感覚なんですよね。
そもそも、「ズボラ」とはどういうことなのか。
以下はWeblio辞書からの引用ですが、
『しっかりしておらずだらしのないさま。行うべきことをしないような性格。』
と書かれています。
※実用日本語表現辞典より
世間一般的に言えば、「ダメダメじゃん……」となるでしょう。
私について
さてここで、私自身について、簡単に自己紹介させていただきます。
私は「さくさく」と申します。
アラフィフを迎えた独身女性、つまりおひとりさまです。
これまで結婚・出産もせずに生きてきました。
職業は看護師です。仕事ひとすじ、というと聞こえは良いかもしれません。
とまあ、簡単な自己紹介はこのくらいにしておき、本題に入ります。
アラフィフを過ぎたおひとりさまである私が、どうして「ズボラ」になりたいのか。
それは私が私自身にかけている「呪い」を解くためです。
「きちんと」という呪文
「きちんと」「しっかり」
子供の頃からずっと、呪文のように言われ続けてきました。
「きちんと」「しっかり」するのが当たり前だと思っていましたし、当然のことだと信じていました。
ですがいつからか、これらの言葉は「呪い」にもなっていました。
「ズボラ」なんて、もってのほか。
成長し大人になっても私が私自身へ、「きちんと」「しっかり」しなさいと暗示をかけていました。周囲の人々へも同じことを求めてきました。
ですが、この年になってやっと気づいたんです。
なぜ、しっかりしないといけないのか?
どうして、きちんとしないといけないのか?
だらしがないことは、本当に「悪」なのか?
もちろん、現代社会で生きる上では必要なことです。
社会的な常識、日々の生活を守るためのマナーであり礼儀です。
そういった面を否定するつもりはありません。
それでも考えてしまうのです。
そして気づくのです。
「ズボラ」へのあこがれ
私は「ズボラ」にあこがれているんです。
私も「ズボラ」になりたい~!と。
それなら、ズボラになりたいなら、なればいいじゃない!
って思うでしょう?
でもね、はいそうですねと言って、なれるものじゃなかったんです。
つい細かく、きっちりとしっかりと、やろうとしちゃうんです。
なにせ半世紀かけて歩んできた生き方ですからね。
まあしょうがない! それが「私」という生物ですからね。
亀が歩くペースで、のんびりボチボチとやっていこうと思います。
そんな感じのざっくりした方向性で、日常のあれこれを綴っていこうと思います。
気が向いた時に訪問してくださるとうれしいです。
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